門司港地域の足跡
〜九州の鉄道の起点でもあり終点でもあるのが、ここ門司港駅!〜
現在では九州の玄関口とされている門司港地区ですが、昔(明治の前まで)は大里地区(今の門司駅周辺)が九州の玄関口でした。下関と大里が本州と九州を結ぶ主なルートだったからだそうです。
交通の中心が門司港地区に移っていき、ここが九州の玄関口になるのは、明治の時代になってからといわれています。
明治の時代から鉄道が敷かれることになったのは、筑豊の石炭がいろいろな産業で使われるようになったことがきっかけでした。
「門司の港から各地に石炭を積みだそう!」ということで、今の門司港がつくられたそうです。
筑豊の石炭を鉄道で港まで運び、外国へ船で運び出すとなると、大里地区より門司港地区のほうが立地が良かったことから、現在の門司港地域に駅ができたといわれています。
その門司港駅ですが、九州の鉄道の「起点(スタート)」であり「終点(ゴール)」でもあります。そのことを伝えるために建てられているのが「0哩碑(マイルひ)」です。
今も門司港駅改札口付近にありますので、みなさんも、ぜひ来られた際にはご覧くださいね! 九州の鉄道の最北端にいることを実感できるかもしれません!




