門司港地域の足跡

 「ごんぞ」と聞いて、ピン!とくる方はどれくらいおられるでしょうか?
 かつて門司港の発展を支えた港湾の荷役作業にたずさわる人たちのことなんです。

 1889年(明治22年)以降、門司港は筑豊の石炭輸出港として発展していきました。

筑豊地域から運ばれてきた石炭は、汽車から降ろされバイスケと呼ばれる竹籠に積み込まれます。石炭が積み込まれたバイスケは、天秤棒で担がれ、貯炭場や艀(はしけ)と呼ばれる内陸の水路や小舟に運ばれていき、沖で待っている巨大な汽船に積み上げられていくのです。

なんと、昔は一連のこうした荷役作業をすべて人の力で行っていたそうです。

バイスケ(竹籠)に石炭を詰め込む作業は主に女性が担い、貯炭場への運搬や船積みなどの作業は主に男性が担っていました。

とくに後者の作業に携わっていた人たちを沖仲仕(おきなかし)と呼び、その中でとくに重労働を担っていた人たちのことを、地元では「ごんぞ」または「ごんぞう」と呼んでいました。そんな、ごんぞたちの悲哀を歌った「ごんぞのうた」も残されていますよ。

 今は観光地として生まれ変わった門司港ですが、かつて港を支えたたくましい人たちの歴史についても、この街の魅力として思いを馳せてみたいと思います。

※白黒の写真は、門司区役所から許可をいただき「門司の歴史」から転載させていただきました。