門司港地域の足跡

 みなさんは門司港がなぜ「レトロ」と呼ばれるようになったのかご存知でしょ うか?

それは北九州の市政が関係しています。 もともと個性ある 5 つの旧市(門司、小倉、八幡、戸畑、若松)が合併して誕生した北九 州市では、当初からそれぞれの都市の強みを生かしたまちづくりが模索されてきました。
その中でも門司には、歴史的な建造物が多く残され、海峡など自然の観光資源にも恵まれ ていることから、それらを生かし、再現することで、地域の魅力を存分に引き出せると考 えられたのです。
懐古的、懐旧的、昔風といった意味の「レトロ(retro)」という言葉は、かつての時代の 門司港を現代に蘇らせることを意図して使われるようになったのでした。

そうしたイメージにぴったりの歴史的な建造物の一つが「三宜楼」です。 三宜楼は 1931(昭和 6)年前後に建設されました。現存する中では九州最大級の木造 3 階 建ての旧料亭です。
かつて出光興産の創業者である出光佐三なども訪れた三宜楼ですが、 高度成長期以降の時代の変化の中で、やむなく廃業に至ります。

そんな門司港の歴史を象徴するかのような三宜楼があらためて復活するのは、2014(平成 26)年のこと。
現在は 1 階に三宜楼を紹介する展示室があり、ふぐ料理を堪能できる三宜楼茶寮もありま す。2 階や 3 階では、贅沢なつくりの大広間やお部屋ごとの細かな意匠を見学することが でき、まさにかつての門司港にタイムスリップしたようです。

ぜひ、みなさんもそんな門司港の歴史を体感してください!

門司港の繁栄を象徴する三宜楼
三宜楼の入り口
三宜楼2階の大広間
大広間の見事なシャンデリア
レトロが感じられる電話室