門司港地域の足跡

  みなさんは、九州(北九州)と本州(下関)にはさまれた関門海峡が、5つの「道」でつながっていることをご存じでしょうか?

1つ目が関門連絡船で渡る海の道。
2つ目がJRの在来線が走る鉄道トンネル。
3つ目が自動車で渡る国道トンネル(人道トンネルを併設)。
4つ目は高速道路が走る関門橋。
そして5つ目が新幹線が走る新関門トンネルです。

 それぞれの「道」に様々なエピソードがありますが、ここでは2つ目の鉄道トンネルについてご紹介します。  

1942(昭和17)年に下り線が、1944年(昭和19)年に上り線が開通したこの鉄道トンネルは、世界初の海底トンネルでした。

 敷設のための動きが出始めるのが1896(明治29)年ごろのこと。下関まで開通していた当時の山陽鉄道と門司-熊本間をつないでいた当時の九州鉄道を、一つの「道」としてつなげることが狙いでした。

 幾度の困難に直面しながら、ようやく工事が始まったのが1936(昭和11)年。投入された作業員の人たちは延べ374万人。当時、最新鋭だったシールド工法という掘削方法が採用されました。

 下関側の線路内には、この工事で殉職された方々のお名前も刻まれています。

   九州と本州における物流の大動脈を支え、私たちの暮らしの移動を支えてくれるものとしても欠かせない鉄道トンネル。  

いまでは当たり前になって、ついその大切さを忘れがちになるのはよくありますよね。でも、こうした奥行きのある歴史を感じられるのも、門司港の魅力の一つではないでしょうか。

※写真は本州と九州が線路でつながったときのものです。「門司100年」から転載させていただきました。